わすれないよ
子供たちを寝かしつけながら一緒に寝落ちしてしまったゆとりですおはようございます。
だんだんとキャンプブログではなくなってきているような気もしますが
もう少しだけお付き合いください。
昨日は大船渡での仕事がてら、自分の故郷に行ってきました。
震災から4年を迎えて、故郷の姿を自分の目で確認する為と、叔父に線香をあげるためです。
久しぶりの高田は、何も見えませんでした。
津波を想定しての嵩上げ。
5~10m程度の土景色。
故郷の面影はありません。
嵩上げする土を山から運ぶためのコンベア。
初めてこれを見たときは違和感を感じました。
生活拠点を高台に移して、海沿いを緑地、公園にする方法.
海沿いに高架の道路を作り、それを防波堤のように活用する方法
巨大な防潮堤をつくり対策する方法
嵩上げをしてその上に街を再建する方法
どれが正解なのかなんて、誰にもわかりません。
そもそもどれをもってしても、自然に対抗することはかなわないかもしれません。
それぞれの場所で、それぞれの方法で、再建しようとしている。
人の生活を、いのちを守るために新しい街を作っている。
でも、記憶の中の街並みがもう戻ってこないことにはやはり寂しさを感じます。
仕方のないことですが
個人的には壊滅した故郷を見たときと同じくらい、辛い気持ちになります。
伯父の位牌の横に、小学校1年生になった従姪から伯父に宛てた手紙が置いてありました。
~~~
たくさんおさんぽつれていってくれたけど
○○(新しく生まれた従姪の弟)はみせれない
ほんとにいつもはじいちゃんとのおもいでたくさんあったけど
じいちゃんなくなってから、おもいでなくなっていったよ
ほんとにありがとう
わすれないよ
ありがとう
じいちゃんへ
思わず涙がこぼれました。
わすれないよ
ありがとう
忘れないという気持ちって大事だと思いました。
小学校1年生の従姪に教えられました。
復興していくことで、どんどん景観は変わっていってしまう。
前に進むために。
けれど、記憶の中の街なみはたぶん自分が死ぬまで忘れない光景だと思う。
ただ、いつまでもしがみついていてはいけない。
そろそろ、受け入れないと。
駅前の商店街
よく買い物に行ったスーパー
大好きだった海と貝のミュージアム
水遊びした気仙川
毎年海水浴した高田松原
お盆に松原から見た花火
そして、伯父とのキャンプやバーベキュー
わすれないよ
ありがとう
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